My College Life in Vancouver :UBC ぶろぐ

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Interview with Junna : 完璧なバイリンガルとして、日本でのIB教育を経てUBCに行く勧め

Interview with Junna Part I: UBCに進学するまでのプロセス

皆さんこんにちは!Kagawaです。Welcome back to our blog! 

今回は,また新たに新しい方をゲストにお招きしたインタビュー企画を更新したいと思います。

今回のゲストはじゅんなさん。

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じゅんなさんは2017年にUBCを卒業し、同年10月から外資系コンサルファームでキャリアをスタートされました。その後2019年7月に外資系教育会社に転職され現在に至るというキャリアを歩まれている方です。

そんなじゅんなさんと私Kagawaとの関係についてですが、彼女はKagawaの大学の先輩にあたり(年齢は彼女の方が年下ですが(笑))、私の在学中に1つ同じ授業を共に受講した関係から、親交を持たせていただいている仲です。

綺麗でスマートな女性という印象で、成績が非常に優秀であったことや、バンクーバー総領事館などでの長期インターン、さらにオックスフォード大学への交換留学の実現などというアチーブメントから、僕の在学中でのロールモデルになった1人の方でもありました。

じゅんなさんという素敵なゲストをお迎えした今回のインタビュー。今回のインタビューは、特別に3回に分けて、お送りしていこうと思います。

Part 1ではじゅんなさんのバックグランドからUBCに留学するまでの経緯、さらにIB教育の特徴などについて語ってくださった内容をシェアしたいと思います。

 

それではお楽しみください!

 

 About Junna's Background 

―本日はよろしくお願いいたします。ではまず簡単に自己紹介をお願いいたします。

じゅんなです。生まれは日本ですが、2歳のときに父親の都合で、米コネチカット州に7年間いました。その後日本に帰国して、小学校、中学校と一般の日本の学校に通い、高校一年時にアメリカに1年間留学に行きました。

―なぜ高校一年時に再度アメリカへの留学を決意されたのでしょうか?

元々アメリカに7年間いたというバックグラウンドから、早い段階で自分の強みを活かしたいという思いがありました。中学3年生の頃に、”このまま周りの子たちと同じように、日本の大学を目指して良いのか、思い悩むようになったのですが、

そのタイミングで、当時自分の学校の修学旅行でたまたまバンクーバーに行ったんですね!

そこでUBC や現地の高校の様子を間近でみて、とても刺激を受けて、みんな楽しそうだったので、留学への思いを高めました。

その修学旅行から帰国後、すぐに両親に相談しました。幸い、両親は私がやりたいことを尊重してくれたので、計画は順調に進み、最終的にまたアメリカに、今度は現地高校に1年間留学しました。

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―その1年はどんな1年間でしたか?

非常に中身が濃かったです。というのも元々7年間アメリカに幼少期にいた経験から、英語に関してはある程度自信がありました。

ただ実際に行ってみると、リスニングは聞き取れるけど、言葉がすぐに出てこなかったり上手い返しが思いつかなかったりでスピーキングが現地の子たちと比べると劣っていて、正直元気を失いかけていました。ただそんな中でも、現地の人達が私に対してキリスト教の慈愛深い精神が強いコミュニティだったということもあり、とても優しく接してくれて、異国の地で外国人である私にも分け隔てなく接することができる彼らのことを純粋に素敵だなあと思いました。

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他にも、ディスカッションベースの授業の進め方、パソコンを使いこなす下級生の姿(PCを使った提出物が普通であることに驚いたのを覚えています)、宗教という難しいトピックについて議論する同級生、場を盛り上げリーダーシップを自然に取る大人っぽい上級生、毎日”How was your day?”と聞いてくれる温かいホストファミリー、、、色々な人から刺激を受け、日本にいたら味わえなかった感情や考え方に出会い、人間性が非常に磨かれた気がします。1年の最後には日本人として最後にみんなの印象に残りたいと思いたち、日本紹介のプレゼンテーションを全校生徒の前でやり遂げるという思い切ったこともできるようになったことを覚えています。

その1年を経て、住む場所を変えるだけでこんなにも多くの経験ができるのか、文化が違う人々と話すことで知識面だけでなく人間性も豊かになるものなんだ、といった様々な気づきを通じて”大学は絶対海外が良い!”という考えを持つようになりました。

その後日本に帰国後、再度両親と相談した結果、海外の大学進学につながりやすい環境があるインターナショナルスクールに行こうという結論に至りました。

 

―じゃんなさんは日本のインターに通われました。なぜ日本でそのような学校を探されたのですか?

実は1年間留学していた現地高校にそのまま卒業するまで残りたいという気持ちも大いに持っていました。けれども両親が私に日本に帰って来て欲しい気持ちがあったので、日本で海外大進学に特化する学校を探すことになったんです。

幸いにも両親が物凄く協力的で、そういった学校を探してくれてました。そしてたまたま実家に近い大阪インターナショナルスクールという、海外大進学に特化したIBカリキュラムを提供する学校を見つけることができたんです。

IBカリキュラムは国際的に広く認められているプログラムなので、海外大を志望する当時の自分にとっては非常に魅力的でした。

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―そうだったんですね!大阪インターに入る際には、アメリカ留学以前にいた日本の学校を辞めて、大阪インターに入学されたのでしょうか?

そうです。高校でアメリカに入学する前は、日本の中高一貫校に通っていて、アメリカに留学した際はその学校を休学していました。その後、大阪インターに入学するために、その中高一貫校を辞めるという形になりました。

―なるほど。その大阪インターはどんな環境でしたか?

海外大進学に特化するIBカリキュラムの環境でしたので、海外大に進学、進学後にも必要なディスカッションやエッセイを書くといった内容に特化する、日本の教育とは全く違う、海外大と似たようなカリキュラムを行う環境でした。特にエッセイの書き方については全くの初心者だったので引用文献の記載方法をはじめ、構成の考え方など、IBを通じて学ばなければ大学で正直苦しかったかも、と思います。また、自分で受けたい授業のスケジュールを組み、授業と授業の間の時間は宿題やテスト勉強のために有効に使うなどの習慣ができ、タイムマネジメント力がとても養われたと感じます。全体的にとてもチャレンジングな環境でしたけど、IBディプロマプログラムのお陰で、海外大での学者環境に早々に溶け込むことができたと思っています。

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また、学校の雰囲気についてですが、クラスにはハーフの子や、私のような日本人もいて、日本の文化も海外の文化も両方取り入れたようなユニークな学校だったと感じますね。

ー入学するに当たってはどんな要件があったのでしょうか?

インターですので、英語の面接であったり、異文化のカルチャーに溶け込めるかどうかも必要だったりします。IBディプロマの資格は2年間を要して取るディプロマですので、そうした時間的な計算も必要かと思います。実際、私は本当は年齢的に高校3年生から編入したかったのですが、IBディプロマ取得には2年かかるとのことで高校2年生から編入することになりました。

UBCに進学した理由

―そんな大阪インターに進学したじゅんなさんですが、最終的にUBCを進学先に選ばれた理由を教えていただけないでしょうか?

主に英語圏で見ていて、具体的な国としてはカナダ・アメリカ・そして日本でも早稲田の国際教養学部などをみていました。最終的には、幼少期にいたコネチカット州にあるWesleyan Universityとシアトルの大学とUBCとで悩みました。シアトルの大学は小さな大学でしたが、2年分の奨学金を出すオファーをくれていたので相当悩みました。

―それはすごいですね!

そうですね。個人的に思うのはアメリカの比較的小規模の大学の方が、多様性のある人材を確保したいという思いが比較的強いので、高額な奨学金をオファーしてでも、そうした留学生を確保したいという気持ちがあるのだと思います。

最終的にUBCを選んだ理由は主に3つあって、1つは中学時代にバンクーバーに訪れた際にUBCを見学して魅力を感じたこと、もう1つは大阪のインターの先輩が比較的多く進学先にUBCを選んでいて、彼らの評判が高かったこと、あと最後に、大阪インターでの私のIBの成績から、UBCが大学一年分の単位に相当する24単位分を入学時点で付与するという特典をオファーしてくれたんです。

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IB教育の特徴

―24単位分とはすごいですね。ちなみにIBの成績はどのように決まるのですか?

トータルで45点満点の配点です。配分としては、IBは6科目履修が必須で、各教科が7点満点でトータル42点。さらに3点のボーナス点で加算されます。ボーナス点の評価項目としては、Creativity, Activity, Serviceという課外活動や社会貢献活動、theory of knowledge という哲学のクラスの出来、さらにextended essay という各自の好きなトピックで4000 word のエッセイを書くという課題でボーナス点が与えられます。

合計すると、45点満点という仕組みです。最終的に私は40点を取得することができました。

―9割以上の得点。素晴らしいですね。課外活動などにも力を入れられていたのですか?

そうですね。Creativity Activity Serviceといって部活や社会貢献活動などにそれぞれ一定時間取り組まなければならないのですが、特徴的なのは生徒自らの意識をもって取り組む必要があったことです。この活動をやることによってどのような学びがあるのか、社会にどのようなインパクトがあるのかを考えて自分で何をするのかを決めます。誰かに強制されてやるものではないので、社会や周りとの繋がり、自分のバリューについて考える良い機会になりました。

それで私が大阪インターに入学したのが2012年だったのですが、その冬に東北地方を訪れ、被災地の支援活動のボランテイアに参加しました。その後持続的な支援をしたいという思いから、学校でクッキングクラブを設立し、週に一度ブラウニーを作って販売し、その売り上げ額を被災地に寄付するという活動をしていました。

―なるほど。素晴らしいですね。実際にUBCにアプライした際に書いたアプリケーションでは、その課外活動での経験を書かれたのですか?

そうですね。被災地のボランティアの経験を中心に書きました。書き方としては、ただ被災地を訪問しただけではなく、クッキングクラブの活動・寄付を通じて、持続的な支援の仕組みを構築したこと。

あと実は、2012年冬の活動のあと、2013年夏にも被災地を訪れたのですが、2回目の訪問ではクッキングクラブでの活動の反響もあって、1度目の訪問時の6倍ほどである30人の仲間が手を挙げて、支援活動に参加しました。その2度目の訪問時において、私をはじめ1度目に訪問した5人の仲間がリーダー役になったんです。なので活動をコーディネートした際に、リーダーシップを発揮できたことを書く構成にしました。継続性を重視した取り組みとして学校全体に発信することができたことがポイントになったと思います。

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おわりに

いかがでしたでしょうか?

今回のPart 1ではじゅんなさんのバックグランドやUBCに進学されるまでのプロセスにファーカスした内容をシェアさせていただきました。

高校1年時での留学経験のインパクトの大きさや、大阪インターナショナルスクールでのIB教育受講など、中々ユニークなお話をシェアできたと思います。

特に海外大進学を目指される高校生にとっては、出願アプリケーションに書き方など、参考になる情報も多かったのではないでしょうか。

次回はじゅんなさんのインタビューPart II ! 

Part IIではじゅんなさんがUBCで専攻したメジャーや、海外大学に進学によって身につく力や意義について熱く語られたパートをシェアしていきたいと思います!

それでは今回はこの辺りで。

Chao ! 

Interview with Naoki: 東大行くなら留学しようぜ!

UBCで出会ったスーパー東大生にインタビュー!

皆さんこんにちは。最近は蒸し暑い日々が続いていて、外に出るのも億劫になる日々が続きますね。このブログの投稿のペースも暑さとともに、若干夏バテ気味ではありますが、、、、

今回もインタビュー企画の投稿をしていこうと思います。

今回のゲストは現在東京大学法学部に在学中のNaokiさんです!

Naokiさんは筆者がUBCに在学中の2018-2019年にUBCに交換留学し、前期の学期では同じPolitical Science (政治学)を受講した関係から、今でも親交がある仲です。

東大入学後、HLAB(インタビュー内に内容掲載)という教育系NPO団体の学生代表を務めた後、UBCにて1年交換留学を経験。その後就活を経て、来年から外資系投資銀行で勤務される予定です。

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輝かしい経歴に加え、第一印象も好印象かつ爽やか。そんなこちら側が嫉妬する要素しか持ち合わせていないNaokiさんですが、(そういった交換留学生を含めた人材ともフラットに出会えるのがUBCの魅力だとも思います。)今回のインタビュ―要望にもお忙しい中、快く応じてくれました。

そんな東大生Naokiさんとのインタビュー企画。今回もPart I,IIからなる2部構成。他の方々と同じように、Part IではNaokiさんのバックグランドやUBCに留学するまでの経緯を中心に、Part IIでは、留学を経てのキャリア感の変化や外資系投資銀行に内定が決まるまでの経緯を中心にお送りしていく構成です。

それでは今回もお楽しみください。

 

 

UBCに交換留学するまで:視野が広がったきっかけ

ーまず簡単な自己紹介をお願いいたします。

東京大学法学部4年Naokiです。2017年の9月から2018年5月までの期間、UBCに交換留学をしていました。趣味はNetflixと旅行に行くことが好きです。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

ーこちらこそよろしくお願いいたします!まずは交換留学に至るまでの経緯に関して、東大に入られてから元々留学願望はあったのですか?

元々大学に入学する以前に、そうした気持ちがありました。ただ経済面や当時の英語力という点から、日本で4年制の大学に入るまでは留学はないのかなあとという気持ちになりました。

ー大学に入学する前には留学したいという気持ちがあったのですね。何か具体的なキッカケとなるような出来事はあったのでしょうか?

実は中3と高3の夏に父親から「イギリス行ってこい」という感じでいきなり言われまして、自分の視野を広げるという目的で、イギリスのサマースクールに参加した経験があるんです。

ーいきなりですね。そのサマースクールはどのように探したのですか?

最初は親が見つけてくれたISSという留学斡旋センターの事務所に行き、彼らが紹介してくれたイギリスのサマースクールの概要を聞いているうちに、すっかり気に入りそのサマースクールに参加することを決めました。実際に参加してみると、参加当初までの世界では考えれないような、多様性のある世界に触れることができ、そういった経験を大学に入ってからも出来るようになりたいと思っていました。

ーただ、大学に入られてから交換留学までに行かれるまでの経緯として、また何か別のきっかけがあったと思うのですが、その辺りはいかがでしたか?

大学入学以降3年時で交換留学に行きたい思いがあり、そうした前提で行動していたので、大学入学後に何かこれっというような転換期になる出来事はなかったと思います。

ただ大学入学以降感じたこととして、日本の大学の学部4年というのが極めて短い期間であるということ。日本では学部入学して2年も経たないうちに、早い人では国家試験対策や就活を始めてしまう。それを考えると、純粋に「学生」として楽しめる期間はすごく短いのではないかと思い始めました。そうした考えと元々思っていた留学への想いが重なって、1年自分の学部期間を延ばして、留学に行こうという決断に至りましたね。

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ー素晴らしいですね。Naokiさんみたいに良い意味でゆとりを持たれるスタンスを持たれる方って大学特に東大とかだと少ない印象があるのですが、ご自身がそういようになれた理由みたいなものはありますか?

確かに自分は高校の同級生とかと比べるとかなりリベラルな方かもしれません。ただ元々のきっかけとしてあるのは、中3、高校1時に行ったサマースクールで色々なバックグラウンドを持つ経験の方と会ったのがあります。もう1つは大学入学後に入ったサークルが海外大の学生と交流するサークルだったのですが、そのサークルの東大側の仲間にどちらかというと刺激を受けました。

 

サークルに所属する先輩や仲間が、自分が考えてきた方向性と全く違うことを考えいて、同じ日本で育ちながらも、そうした違ったことを考えている人たちにサークルを通して出合えたことも、別のきっかけとしてあると思います。

ーそのサークルは具体的な活動はどのような感じだったのでしょうか?

HCAPというハーバードの学生と交流するサークルで、少人数だったんですけど、メンバーそれぞれが、弁護士や建築家や医者など様々なビジョンを持つ人たちに囲まれて、高校まで見ていた自分の世界は狭かったんだなあと感じましたね。そうした経験を重ねていくうちに、必然的に違ったモノをみることへの抵抗感が減っていく感覚がありました。

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ーそうしたリベラルな姿勢と元々持たれていた海外志向があってこそ、留学を実現できたのですね。後もう1つお聞きしたいことがありまして、NaokiさんといえばHLABという団体を勢力的にやられていたことが印象に残っているのですが、その経験も少しお伺いしていこうと思います。

HLABでの経験: 学生代表として精力的に活動

ーHLABに入られた経緯としてはHCAPの経験が経緯としてあるのでしょうか?

厳密にはその2つの組織は直接的には関係はないのですが、HCAPの4期生時にハーバード側に当時HLAB創設者の小林亮介さんがいらした関係で関連性があることを知り、また自分の同期にも、彼らが高校時代にHLABのサマースクールに参加しており、HCAPのサークル活動に関わることで、必然的にHLABの存在は認識していました。

(Hlabの公式サイト。概要・内容は下記記事に譲りますが、海外トップ大の学生が日本の高校生を中心に将来のキャリア・教育オプション提供するプラットフォーム。主に毎年夏に全国各地でサマースクールや著名人によるセミナー企画を実施している)

kininarukotomatome.com

ーなぜHCAPに入られたのですか?

大学1年時の自分の怠惰な過ごし方がきっかけになりました。周りに流されるように楽単を取り、友達にカラオケを誘われれば、授業をサボってカラオケに行ったり、とても自分の大学の環境をフルに活かしているとは言えないような過ごし方をしていました。

そんな時に自分の過去を振り返るタイミングがありまして、今までは周りの人たちがみんな行くからという理由で東大に進学し、進学後に重要な具体的な将来のビジョンもないまま過ごしていて、そういった状態が今モヤモヤしている状況のボトルネックとしてあるのではないかと思い始めました。

そうした周りに流される癖をなくしたいという想いと、1年目にはHCAPという国際交流のサークルの経験経て自分はどんなバリューを出せるのかという軸を掛け合わせた結果、HLAB1年やってみようかという決断に至りました。

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ー1年目のモヤモヤした時期を経て、2年目、3年目のHLABでの精力的に活動する期間があり、交換留学を迎えたのですね。やはりHLABを通して留学に行きたいという気持ちは強まったのでしょうか?

それはすごく思いましたね。HLABの創設者の小林亮介氏が常々海外の大学について楽しげに語っているのを見て、純粋に良いなあと思いました。元々は海外に長期間いることへ若干恐怖心みたいなものをもっていましたけど、周りのHLABのメンバーを見ているうちに「自分でもできるかもしれない」というような気持ちが芽生えました。

ーHLABでは学生代表までやられましたよね。それくらいHLABでの活動を精力的にやられていたということでしょうか?

そうですね。2016年でHLABのメンバーになり、2017年に学生代表を務めさせていただいたのですが、16年の1年の活動を経て、当時の代表に17年の学生代表をやらないか?というようなお話を受けて、最終的にお引き受けした形になりました。代表としての具体的な仕事の内容としては、組織運営に携わる会計部などの各部門の統括で、全体の部署を統括しながら、上手くマネジメントしていくことが求められる感じでした。

ーその経験を通して国際感覚とマネジメントスキルの両方を得られた感じですか?

代表をやっていたときはひたすら後者の方ですね。

ーそんなHLABでの活動が忙しいときに、UBCへの交換留学が決まったのですね。

そうですね。2年目に学生代表としてマネジメントに尽力していた分、少し休みたいなあと思っていたので、ちょうど良かったかもしれなかったです(笑)。

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UBCを交換留学先にした理由

 ーここからはNaokiさんのUBCの経験に関してお聞きしていこうと思います。まず数ある交換留学先の候補の中から、NaokiさんがUBCを選択した理由を教えてください。

前提としては、自分の第一外国語である英語圏で留学先を探していました。後は世界ランキング上位の学校に留学した方が、自分が求めている経験ができるであろうという考えもありました。そうした関係から絞られた候補として、アメリカのUniversity of Washington, John’s Hopkins University, Princeton University,イギリスのUCL, それとカナダのUBC, UofT (University of Toronto) が残りました。

その後、政治学を勉強したいなおかつ、日本と違った体系で政治学を学びたいという考えで、イギリスという選択肢はなくなりました。で残ったのがアメリカとカナダですが、、、、、、、、、

ーそれは絞るのは難しいですね。

そうですね。ただ面接時に僕が言っていたこととしては、日米関係というのは切っても切れない関係であり、日本の外交の行方はアメリカ次第な部分であることは事実である一方、そうした関係の学びを深める上でより重要なのは、アメリカに直接行って動向を調べるのというよりは、日本と似たような第三の国がどのように(アメリカを)見ていて、どのように付き合っているのかということを、実際に行き理解を深めることだという考えに至りました。

 ー素晴らしい視点ですね!それは留学の面接官にもかなりささったでしょう。

そうですね。その考えを持ってからは、カナダに行くことへの納得感がありましたね。

 ーで残ったのはUBCバンクーバーとUofTトロントの訳ですが。

それは気候一択です(笑)。さっきまでの話が台無しになってしまうかもしれないですが(笑)。後はトロントと比べるとバンクーバーは西海岸で、気候が温暖で過ごしやすいし、街も東京と大分雰囲気が違うと。トロントのキャンパスはダウンタウンにあるので、東京と違う環境で勉強したかった自分に自分にとっては、バンクーバーの方が魅力的に映りました。

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ー後個人的にUBCを宣伝させていただくと、UBCはアメリカの大学よりは倍率が低いのも関わらず、大学の国際ランクや環境面である程度レベルが担保されているという意味では、非常にオトクな大学だと感じています。

そうですね。全方面でちょうど良い大学だと思います(笑)いや留学するなら西海岸が本当に良いと思います!

ー 奨学金とかどうされましたか?

これはかなりおススメなのですが、経団連のグローバル人材育成奨学金が良かったです。選考はあるのですが、応募者全体の中から30人が選ばれて(大学問わず)、選ばれれれば、留学前に一括で100万円が支給されました。

ーそれはめちゃめちゃ良いですね。

100万が一括でくるので、滞在期間によってコスパの部分に影響はありますが、自分の場合は滞在期間が8カ月だったので、平均すると月約12.5万円貰えましたね。さらに期間中には簡単なレポートが2回とかの提出で済んだので、留学中の負担もそこまで多くなかったです。後帰国後に経団連主催の就活セミナーみたいなものに招待がきて、帰国後にコネクションが出来たのも良かった点の1つです。

UBCでの印象:日本の大学との違い

ーではUBCでの印象と印象に残っているアクティビティや授業はありましたか?

第一印象は純粋にキャンパスが大きいなと感じました。端から端まで歩いて20分ほどかかるほどの自然豊かな広大なキャンパスは、事前に情報として把握していたとはいえ、想像以上でした。アクティビティとしてはほぼ毎日ジムに通っていました。後はハイキングなどのアウトドアが本当に充実していて楽しかったです。

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ー中々アウトドアですね。ハイキングとかだと交換留学生は9月とかに行くのがおススメですかね。

そうですね。自分もその時期にルームメイトなどの友人を誘って学校の近くの山に登っていました。ハードな時は16時に授業が終わって、寮に一旦荷物を置いて、そのまま近くの山に登りに行ったこともありました。後は冬でも近くの山にスキーやスノボに行けるのも良かったです。

印象に残っている授業としては、POLI 380 Quantitative Methods in Political Science が挙げられますね。定量的に政治のコンセプトを統計ソフトを用いながら理解を深めるのは、新鮮な感覚でしたね。

ーそういった授業は東大にはないのですか?

修士マスターに進む学生用にはあるのですが、学部生用にはないですね。後は政治などを通常は言語化してだらだらと御託を並べて片付けがちな要素を、無理やりにでも定量的に説明するという学問思想は個人的には好きでしたね。

ーそういった概念は新鮮だったんですね。

 後はサボり方を覚えましたね。(笑)

ーサボり方?(笑)

その授業を通してグループワークで友達に分からないところを聞いたり、ラボでTAに聞いたりする姿勢を学びました。

ーそういうスキルは留学時、もっと言うと生きていく上で必要なスキルですよね。東大との環境の比較で何か大きな違いはありましたか?

東大では基本的には期末試験の1回で成績が付けられるので、日々のグループワークなどの機会は基本的にありません。ですからそうした日々の学習へのスタンスには違いがありましたね。

ー具体的に1週間ごとのような短いスパンで課題やテストが4カ月の間にあるUBCのような大学での留学生活をどのように感じましたか?

新鮮に感じましたね。個人的には良い面と悪い面の両方を感じました。良い面としては、定期的に自分の成果物を出すので、コンスタントに自分の努力が反映されて、学習の指標としては役に立ちました。一方で、コンスタントに成果物を求められるので、常に評価されていることへのプレッシャーはありましたね。東大だと期末シーズンになるまでで授業だけ受けてという感じで、期末シーズンになると思いっきり勉強するという、季節労働者のような感じでした。ですから、そうした違いに対して好みは分かれると思います。

おわりに

いかがでしたでしょうか?

今回のパートではNaokiさんが東大入学以降UBCへ交換留学をするまでのプロセスを中心にしたパートをまとめてみました。

NaokiさんのバックグランドやUBCに留学されるまでのプロセスに加え、学生サークル、そしてHLABでの精力的な活動は、特筆に値する点だと思います。もし留学や自分の世界観を広げてみたい!と思っていらっしゃる高校生は、HLABのサマーキャンプなどに参加されるのも、貴重で今後の人生の指針になるべく経験になるかと思います。

またこのインタビューを通して個人的に感じたことは、Naokiさんは東大生の中でも非常にオープンマインドで、ベクトルがグローバルに外に向いているタイプの方であるということです。個人的な思いとして、東大生という日本で一番の頭脳を有している集団だあるからこそ、より多くの東大生がNaokiさんのようにベクトルを外に向け、留学されるようになればいいのになあと(東大生だから留学するべきという議論もいささか偏見しかないかもしれませんが)感じました。

さて、次回もNaokiさんのインタビュー企画Part II。今度は、Naokiさんのキャリア感の変化や、外資系投資銀行に就職を決めた背景を中心に伺ったパートをシェアしていこうと思います!

それでは今回はこのあたりで。 

                                   Chao! 

Interview with Joe: 帰国子女こそ日系に就職すべし!

Joeさんインタビュー後編: 第一志望のメガバン・グローバル職へ

皆さんこんにちは。Kagawaです。

今回はJoeさんのインタビュ―企画の後編です。

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今回もJoeさんのインタビュー企画。見た目に反して中身はとても真面目な一面が見受けられるインタビュー内容となっております。

JoeさんインタビューpartI はこちらから!

 

前編ではJoeさんの国際色豊かなバックグランドやUBCでの経験などを中心にフォーカスを当てましたが、後編であるpartIIではJoeさんが第一志望であったメガバンでのグローバル職の内定を勝ち取るまでの経緯や、その過程における苦労したお話に焦点を絞って、みなさまに共有していこうと思います。

それでは引き続きお楽しみください。

金融・メガバン業界へのこだわり

ーではテーマを変えて就活時のお話を伺いたいと思います。もともと金融業界を見られていたのですか?

Joe

そうですね。その中でも基本的に日本のメガバンクしか見てなかったですね。

ーそれはなぜでしょうか?

父親がメガバンクで海外転勤を多く経験していて、僕もそういう人生を歩みたいのと、子供にもそういう人生を歩んで欲しいと思ったからですね。

あと付け加えるなら、僕自身日本に留まるのが嫌でしたので、そういった意味でメガバンのグローバルコースなら、コース名からも海外へ行きやすいのではないかという考えがあって、メガバンをみていましたね。

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 ー海外に行くといくという目的を果たす上では金融以外などの業界でも可能だと思うのですが、それでもなぜメガバンへのこだわりがあったのでしょうか?

基本的にメガバンは駐在に行くまでのスパンが早いです。メーカーでは確かに駐在はあるのですが、1つの駐在先に留まるケースが多いです。その点メガバンなら、駐在を経験できながらも、比較的短期間で駐在先を変えられるというメリットがおおおうにしてありますね。僕自身幼少期に父親の転勤から、各国を転々とできた経験があるので、そういった短いスパンで駐在先が変わっていくようなイメージができたので、メガバンをみていました。

あとは成長している市場に行きたいという希望もありました。日本のような先進国ではなく、よりダイナミックな成長が見込める東南アジアのような発展途上国で働きたいイメージを持っていたのも、別の理由としてあります。

初めてのボスキャリからの挫折

ー最初、就浪するまでの就活はどんな感じでしたか?

Joe

まず、僕の就活のスタートとしては交換留学時に受けた11月のボストンキャリアフォーラムでした。ボスキャリでは交換留学生はメガバンにアプライすることはできないので、腕試し程度の気持ちで、業界を絞らず受けていました。浅はかな考えでしたね。当時はガクチカさえ準備していなかったですから、そもそも就活というものに対しての準備が全く足りなかったです。結果的には当たって砕けた形でそのボスキャリを終えました。

ーその後4月までのUBCでの交換留学を経て、6月の国内学生用の面接の対策をするために帰ったのですよね?

Joe

はい。当時はテストセンターが自分にとって1番の壁でしたね。日本の教育を2年しか受けていなかったので、できるわけがない、やれないと自分の中で決めつけていましたね。当時は現在の内定先の一次面接までは進めましたが、その面接で落ちました。当時も一応ガクチカとかも用意していたけど今ほど洗練はされていなかったです。

相手が聞きたいことへの理解が全く足りなかったですし、そもそも就活というものを自分自身完全になめていましたね。しかも当時の自分はスペックだけ見れば就活で最強だと思っていました(笑)。英語もできて日本語も話せて、いつでもどこでも自分は活躍できると勝手に思っていたし、周りの留学仲間も有名企業に内定していたので、当然自分も大丈夫だろうと思い込んでいました。

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ーなるほど。当時就活時に使える具体的なネタやエピソードは持っておられましたか?

Joe

持ってなかったですね。薄いガクチカだけ用意していって、もう具体的な準備をせずに、スペックだけで臨んだら壊滅しました(笑)。

ー1回目の国内選考を終えて、そのあとは東京サマーキャリアフォーラムやボスキャリにも参加されたのでしょうか?

Joe

そうですね。その後も東京サマーやボスキャリにも参加しましたけど、根本的には何も変わることなく、ただ内定がない焦りから業界問わず受け続けていました。完全に悪循環でしたね。僕の場合一般的ではないのが、ずっとキャリアビジョンは他の人より明確でした。メガバンに入って海外赴任したいというのは昔からずっと思っていたように。

ただそうした志望動機は強かったけれども、自己分析不足から自分自身のことを客観的に把握できず、結果面接官が求めてくる質問にも対応できないという点で苦労しました。当時は面接に落とされ続けて、かなり落ち込んでいましたね。

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就活時でのターニングポイント:ボスキャリからの自己改革

ーただ、そんなJoeさんも今年の国内選考で見事第一志望のメガバンの内定を勝ち取られました。今年成功したということは、どこかで転換期があったと思うのですが、具体的に何かターニングポイントになった出来事はありましたか?

Joe

ボスキャリ以降、社会人の人たちと話す機会を意識的に増やしたのが大きかったと思います。大学以前までに日本人の年上の方と日本語で話す機会というのがほとんどなかったので、そうした日本語でのコミュニケーション能力を鍛え上げないと就活は乗り切れないと思うようになりました。

具体的には企業の説明会やOne Day インターンなどに積極的に足を運ぶようにしました。あとは準備期間を長く確保できたのも大きかったと思います。本格的に就活の準備を再開したのは、ボスキャリが終わって2ヶ月くらい経った今年の1月の始めでした。同時に12月ごろには、外資系の人材会社にインターンとして働き始めましたね。

ーボスキャリから帰られて、すぐに自己改革をできたのは凄いですね。1月からの準備期間は具体的に何に重点を置かれてやられたのですか?

Joe

1月からはまず苦手なテストセンター対策を始めました。その時は結構忙しかったですね。というのも自分は同時に人材会社でインターンをフルタイムでしていたので。毎日9時から17時まで働いてから、ジムに行って19時くらいに帰宅して、毎日1時間テストセンターの勉強と1時間自己分析をしました。後は日本語にまだ自信がなかったので、日本語の本を意識的に読むようにしていましたね。

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ー相変わらずストイックですね笑

Joe

そうですね(笑)。1、2、3月は死ぬ気で自分を磨いていましたね。その期間を経て、段々と自分のことを客観的に見られるようになってきました。あと絶対内定シリーズの本は個人的に役に立ちましたね。自己分析を正しく始める上でいい指標になりましたね。

そうした期間を経て、3月のES解禁時にはかなり自信が付きましたね。解禁後は幾つの他業界の会社を受けながら、メガバンの選考に備えていきました。メガバンのESとテストセンターの締め切りは5月の頭までだったのですが、締め切りギリギリのゴールデンウィーク明け頃まで準備をしていましたね。後はメガバンの選考までに、インターンをしていた外資の人材会社からオファーを貰えたことで、心にゆとりを持てるようになりました。

ーその自己鍛錬をされた3か月間で飛躍をされた訳ですが、その期間中、自己分析として具体的に意識されていたことは何でしたか?

Joe 

1回目と2回目の就活時で変わったのが、1回目では一応自己分析をして、面接官の意向に関わらず、ただ素の自分を出していましたね。一方で今回は、相手が自分に対して聞きたいことに注目した上で、自分のストーリーやネタを織り交ぜながらも、相手が聞きたいフレームに合わせながら、相手が想像しやすいように意識的に話をするようにしましたね。

この考えは、自分がインターンをしていた人材会社での経験を通じて培われましたね。人材会社でしたので、自分も上司と一緒にお客さんの面接に入ることが頻繁にありました。そうした面接を見ているうちに、どんな話し方が面接官にとって効果的で、何がそうではないかというものを、感覚ながら身に着けられるようになりました。

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ーなるほど。人材会社でのインターンを通して、貴重な経験を積まれたのですね。そのインターンはどのように見つけられたのですか?

Joe 

友人の紹介です。ですから公に募集があった訳ではなく、本当にコネクションのおかげで見つけることできました。今思えばかなりラッキーでしたね。

ーJoeさんのように海外経験が長く、普通の純ジャパのように、留学時での苦労話も特にないという状況で、日系企業が求めるようなフレームワークで、面接にご自身のストーリーを落とし込むというのは難しいかと思うのですが、その点で特に意識された点はありますか?

Joe

そうですね。先ほどと重複しますが、質問に対して相手が求めていることは何かを常に意識するようにしました。例えば、面接官から留学の苦労話はありますか?という質問を前だったら直感で「得にないです」みたいな感じで話して、会話が終わってしまう(笑)。

そうではなく、例え直接的にそういう経験がなかったとしても、相手は苦労話を求めているわけなので、その点で無理やりにでも自分の経験からそういった事象を相手に伝えるようにしました。苦労話に関しては、僕はUBCでのウォールマートのケーススタディ時の話をよくしていましたね。

 ー自分のストーリーを織り交ぜながらも、相手に合わせるというのは素晴らしい姿勢だと思います。

Joe

後は弱点と向き合うようにもしました。僕は元々相手に教えを請うのがすごく苦手でした。でも就活を通して、自分の弱点やできないことに向き合わない限り、乗り切ることはできないと悟り、まずは素直になって自分と向き合うことを始めました。そこからは友人に相談したり、面接練習を手伝って貰ったりして、少しずつ成長していきました。その時もUBCで出会った国内大の友人の存在の大きさに気づきましたね。彼らも一緒に就活をしていたので、彼らに助けてもらいながら、二人三脚で一緒に乗り切ろうと思えたのは、自分にとってかなり支えになりましたね。

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日系企業がより多くのグローバル人材を採用するために

ー素晴らしいお話をありがとうございます。最後に1つJoeさんに是非お伺いしたい質問があります。Joeさんのようなバックグラウンドを持たれる方では、基本的に外資系の日本ブランチで働く層が圧倒的に多いかと思います。

ただ僕自身の持論としては、日系企業がもっと多くJoeさんのような国際経験豊富な人材を獲得するべきだと感じており、実際Joeさんの周りの方でも日系に行ってから、赴任などを通して海外で働きたいという層はいますか?

Joe

一般的には帰国子女の中でも大きく分けて、2つの選択肢があると思います。1つは日系企業に就職して、最初の数年前後国内に留まりながら、海外赴任をする道。もう一つは日本にある外資のブランチで、海外オフィスへのトランスファーへの確立はかなり低いながらも、国内でよりインターナショナルな環境で働くという選択肢。

僕の感覚だと後者を選ぶ人が、まだまだ圧倒的に多い気がしますね。彼らの中でも海外で働きたいという要望はあるとは思います。ただ日経企業への就職になると、会社へのカルチャーフィット面で、僕の周りの大勢の人が日系への就職を断念しています。僕自身も就職期間中に、「君はうちのカルチャーに合わないけど大丈夫?」みたいに言われまして。多くの帰国子女が日系企業とのカルチャー面でのギャップに困惑して、日系への就職を断念するケースが多いと思います。

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ーではどうすればより多くの帰国子女が日系企業で働けるようになると考えますか?

Joe

う~ん。そういう帰国子女にある意味気を使う採用方式を取り入れることでしょうか。例えば、僕の内定先のメガバンでもグローバル系の採用は、国内の総合職と別であるように。そういう採用チャネルでは英語面接などもあるので、帰国子女にとっても面接を受けやすい環境はある程度整っていると思います。

後はそういった人材を獲得するためには、企業側も候補者の日本語レベルにもっと寛容になっても良いと思います。僕のケースを取り上げると、あるメガバンの採用プロセスで日本語での小論文がありました。そこで書いた内容が候補者の中でも最低レベルだと言われました(笑)。

それでも、最終的に内定を頂けたのは、日本語能力が他者より多少劣っていてでも、海外経験豊富なバイリンガル候補をより多く獲得したいという、企業の採用への柔軟性の表れだと思います。後はテストセンターなども、英語でも受けられるような改革も、同様な理由で必要かと思います。個人的により多くの日系企業がそうした体制を整えるべきだと思っています。

ーなるほど。Joeさんならではの視点はとても参考になります。本日は長い時間どうもありがとうございました!

 おわりに:編集後記

いかがでしたでしょうか?

今回は海外経歴が長いJoeさんのインタビューをまとめました。

今回のインタビューではJoeさんが第一志望のメガバン業界の内定を勝ち取るまでの、苦労話に焦点を当て、シェアさせていただきました。

Joeさんのように海外歴が長くスペックが元々高いにも関わらず、就活時では自分自身を上手く企業側に伝えるためには、また別の角度からの努力が必要なことが良く分かるインタビュー内容でしたね。

ただ、1回目の失敗からしっかりと自己分析・改革を実行し、持ち前のストイックさと努力でその失敗をリカバリーされた姿はさすがとしか言いようがありません。

また今後益々必要でなるであろう、企業特に日系企業における、グローバル人材の採用に関する示唆も頂き、企業側にとっても参考になる内容だったと感じます。

次回も引き続き、今度は別の方のインタビュー企画を投稿します!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

それでは今回はこのあたりで

Chao !