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Interview with Jun part II : UBCを経て事業会社でエンジニアとして働くまで

Interview with Jun-san: キャリア編、UBCを経てエンジニアとして働かれるまでの軌跡

皆さんこんにちは。Kagawaです。

さて今回はJunさんのインタビュー企画Part IIを公開していきます!

Junnさんの前回のインタビュー記事はこちらから!

今回はJunさんがUBCを卒業後、現在事業会社でエンジニアとして働かれるまでの経緯にファーカスを当てた、インタビューをシェアしていきたいと思います!

ボスキャリでの就活の様子や、現在の仕事内容、エンジニアとして将来のキャリアビジョンまでかなり踏み込んだ内容となっております!

それではお楽しみください。

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前回に引き続き、会社のカフェテリアでインタビューに応じてくださいました!改めましてよろしくお願いいたします!

 

データアナリティクスに興味を持つまで:UBCの授業と農家でのインターンを通じてデータアナリストへの関心を持つ

ーUBCに入ってから、何か印象に残っているクラスはありましたか?

Jun

1つしかなくて(笑)、FRE385(Quantative Metthods for Business and Resource Management)というクラスが印象に残っています。その授業では学部生が半分、残りの半分を院生が占めるクラス構成で、ロジスティクスやデータを学ぶカリキュラムでした。その中でも僕が特に興味を持ったのは授業で用いた、Tableauというビジュアリゼーションソフトウェアで、エクセルのグラフのめちゃくちゃ良いバージョンを作れるソフトでした。そのデータを高度なレベルで可視化することを通じて、データサイエンスという領域に興味を持ち始めました。その後、データサイエンスというものをググって、調べていくうちに、プログラミングや統計学などの必要な知識があるんだなあというのを知りました。

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ーその授業をきっかけに自発的に勉強したい領域が広がったのですね。

Jun 

そうですね。後元々のきっかけとしては、UBCに編入する直前の夏に農家でインターンをしていたことがあります。農家の方々って重労働で、毎日本当にキツくて、労働環境も普通に見れば良いとは言えない。

さらに、彼らはペーパーワークも多くて、所謂データというものに触れる機会はあります。ですが、近くでみてそのデータを効果的に効率的に扱ってるとは思えませんでした。そうした背景もあって、いつかは農家にとっても効果的に・効率的にデータに対してアプローチが出来るようになれば良いなという想いが芽生えたことも原体験としてあったと思います。

ー農家などの現場とデータが繋がればさらに有意義になりそうですね。

Jun 

まあそうした経験を経てからFRE385という授業を取ったので、タイミングとしては良かったと思います。

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ーその授業を受講後もデータサイエンティストへの興味を持たれていたのでしょうか?

Jun

そうですね。ただその時点で、UBCで履修しなければいけない単位はそんなになかったので、大学の授業を受けつつ、自分でオンラインコースのプログラミングや数学、統計学の授業を取るという形を取っていました。

ーなるほど。でもそのきっかけとしてはUBCのFRE385という授業があったのですね。

Jun  

そうですね。でもデータサイエンスに興味を持った時点で、大学辞めたいと思っていましたけど(笑)。ただ、親に投資をして貰っている以上、卒業はしようと思ってUBCは卒業しましたけど。

就活とキャリア:ボスキャリを通して現在の会社を選ぶ

ーデータサイエンティストへの興味を持たれた中で、就活に臨まれたと思うんですが、その過程において、カナダか日本のどちらで働くかという点で、悩まれた点はありましたか?

Jun 

カナダに残ろうという考えはあまりなかったですね。主に2つ理由があって1つは北米ではスキルベースで企業は採用をします。その中で、自分が興味を持っていたデータサイエンス・プログラミング・機械学習などの面において、多くの学生が4年間フルでそういった分野を勉強してから、ジョブにアプライするので、学部の途中からそうした分野の学習を独学で始めた自分にとっては、不利であり、彼らに勝てないと思ったので、カナダに残ることはあまり考えなかったです。

それに対して、日本のマーケットはエンジニアに対してもポテンシャルで採用するので、そうした日本の門戸の広さが2つ目の理由としてありますね。

後はブラック、ブラックと叫ばれる日本のマーケットで一度くらいは働いてみたいという好奇心もありましたね(笑)。

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ーなるほど(笑)。そうした就活の軸がありながら、日本の企業の選考を受けられたのですね。業界としては、データサイエンスやプログラミングなどの分野にピンポイントで絞られていたのでしょうか?

Jun 

そうですね。やりたいことははっきりしていたので、かなり会社を絞って、就活に臨みました。ただボスキャリにそうしたエンジニア職やデータサイエンスを募集要項に盛り込んだ企業は多くなかったので、行きたい会社を探すのはそれなりに苦労しましたね。最終的に受けた会社は3社程度でしたね。

ー差し支えなければどういった業界の会社を受けられていたのでしょうか?

Jun 

IT系のコンサルと、総合系の中でもIT分野に力を入れているファームと現在所属している会社を受けましたね。

ー現在エンジニアとして働いているJunさんですが、どうして当時コンサルも受けられていたのですか?

Jun 

コンサルの中でもIT分野を強化しているファームはあって、その中でも特にアナリティクスのような部署にも興味を持っていたので、選択肢に入れた感じですね。

ー最終的にオファーを貰ったのは、現在所属される会社と総合コンサル会社だったそうですが、その時点でどちらにしようか悩まれましたか?

Jun 

いや全く悩まず、今いる会社にしました(笑)。

ーえ(笑)。どうしてですか?

Jun

総合コンサルの方は確かにIT・データ関連の部署はあるのですが、配属に関して聞いたときに、「確約はできない」みたいな感じだったので、それだったらエンジニア職として確実に働ける今自分が所属している会社にしようと思いました。

コンサルではなく事業会社でエンジニアとして働く理由

ーなるほど。他に何か御社で働く上で、決め手のようなものはなかったでしょうか?

Jun

う~ん。僕の場合業界や事業に対して、何かこれをやりたいというのは特になくて、それよりは機械学習などの業界問わず汎用性が高いスキルを早く身に付けられる環境に身を置きたいと思ったので、会社の事業内容に対して、特にこだわりはなかったです。

ーそうしたスキルを身に付けられるプラットフォームが御社にはあったという感じですか?

Jun

そうですね。

ーJunさんご自身が習得したいスキルをその会社で出来るかどうか、どのように見定めていかれたのでしょうか?

Jun

面談を通して、それぞれの部署の方と話していると、仕事のイメージがしやすかったと思います。具体的には二次面接までは現場の社員の方との面接だったので、そこで自分が学びたいことができる環境かどうか、判断していった感じです。

後は技術面接といって、面接の際にはある程度知識を求められる部分がありました。例えば「正規化ってなんですか?」のように、技術系の質問もされたので、自分の知識と照らし合わせながら、そうした具体的な技術系の知識と業務での汎用性にどれだけ関連性があるかも、面接を通して合わせてみていましたね。後は単純に、面接官の知識の理解度の高さに対して感心して、ここで働きたいと思いました。

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ーなるほど。面接の過程において、その会社で自分が学びたい技術ができるかどうかの理解を深めていかれたのですね。御社の面接時に留学した理由や背景を深く問う質問などはありましたか?

Jun

いえ、得にそれに特化したやりとりというのはなくて、僕自身もこのインタビューで話したような経歴を簡単に述べるに留めていて、決して留学自体の経験を誇張するよう話さなかったです。それよりも先ほどもお話した、農家でインターンを経験して、そこで現場での問題を認知して、その問題を将来解決したいという気持ちから、データアナリティクスの分野に関心を持って、自分でオンラインコースを受講して理解を深めていきました、というような話の流れや、データアナリティクスに関心をもった経緯を意識的に話すようにしていました。

ーグローバルという観点から、現在職場でどれくらい英語を使われていますか?

Jun

今はたまたま同僚の中国人が隣の席に座っていて、彼とは英語で話していますね。後は10月入社は自分も含めて4人いるのですが、彼らとも部署は違えど、会社であったときは英語で話しますね。

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ーボスキャリでは会社のグローバル性とかはあまり気にせず受けていられていましたか?

Jun

気にしていなかったですね。そもそも僕のスタンスとしてファーストキャリアはそこまで神経質に拘らなくても良いという立場なので。学ぶことを学べたら、期間を問わず次のステップに進めばいいという姿勢ですね。

ただ会社を選ぶ上で、自分の様なエンジニア職の場合は、とにかく良い人・チューターが会社にいるかは、大切なことだと思います。僕の周りにも東大や東工大の院卒の人が、特定の社員の人が働いていて、その人の元について、働きたいという理由で同僚になった人たちもいますから。そういう人達の元について、自分が学びたい分野を体系的に学びながら、働ける環境を探すことは大切だと思います。それが出来るかどうかで、成長曲線も大きく変わってくると思います。

ーJunさんのように、働くうえでやりたいことや学びたいことがはっきりしているのは、素晴らしいと思いますし、純粋に尊敬できますね。

Jun

そうですね。僕の場合はやりたいことがはっきりしていたので、その会社を受ける上でも、「なんでうちの会社で働きたいの?」という質問には、わりとはっきり答えられましたね。ただ「なんでA社じゃなくてうちの会社なの?」みたいな質問には、少し苦労したと思います。まあでも、ボスキャリではそもそもエンジニア職を募集してきている会社は少なかったので、そんなに志望動機の部分では苦労しなかったですね。

現在の会社での仕事内容

キャリアに関して大変参考になるお話をありがとうございます。では話題を少し変えて、今Junさんが現在されている仕事の内容を簡単に教えて頂けますでしょうか?

Jun

う~ん。難しいな(笑)まずやっている分野を言うと、ネットの広告枠です。ネットをしていると分かると思うのですが、ページの右側や上の部分に企業や商品の広告が出ていますよね。その広告は、それぞれのユーザーによって貼られる広告が変わるのですが、各ユーザーにどんな広告を提供したら、クリック率が高くなるのかということを私の部署の業務内容としてあります。会社としては、その広告枠をまとめてごっそり買って、その仕入れた広告枠の中で、それぞれのユーザーに合わせた広告を提供することをしています。

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ーネットでの広告枠を買うって単価でいうと幾らくらいの世界なんですか?

Jun

1つ1つは0.001円みたいな世界なので、会社としてはかなりの数の枠をまず仕入れます。その仕入れた広告枠を、ユーザーの趣味や志向に対応した形で広告を搭載して、ユーザーがその広告をクリックするまでのことを、コンバージョンというのですが、会社としてはそのコンバージョンの率を高めることが収益に繋がるんですね。

僕個人の仕事としては、会社としてあらかじめ予測・期待しているコンバージョン率と実際のコンバージョン率がどれくらい乖離しているのかを、数値化・分析するのが自分のメインのタスクです。

ーそのタスクにおいて、Junさんが前から興味を持たれていた機械学習は使われますか?

Jun

いえ。ほとんど使わないですね。今求められているスキルは、基本的に分析スキルです。ただそれもやりたかったことの1つですので、充実はしていますね。機械学習に関しては、入社した当初は自分で学習を進めてうたのですけど、実務レベルにおいては、パッケージというすでにアルゴリズムが書き込まれたフレームワークを少しいじれば、機械学習自体はできてしまうんですね。

ただそれでは、機械学習の根本の仕組みが分からないままなので、個人的に機械学習に必要な行列の計算などの線形代数の数学の知識を、業務と並行して学習をしていますね。

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ー仕事をしながら、そうして自己学習の時間を設けるのは素晴らしいことですね。

Jun

というより、日々キャッチアップしていかないとエンジニアとして生き残るのは厳しいと思います。今の時代かなり頻繁に様々なことがアップデートされるので、常に勉強は必要です。例えば、前までに実行するのに10秒かかっていたコードが、2秒に短縮されるコードにアップデートされたとする。そうすると勉強をしていないエンジニアと日々勉強しているエンジニアでは8秒も差が出てしまう。そういうことが頻繁に起きるので、日々の学習は欠かせません

後は会社に所属していると、チームで学習を進めることができるので、その点は効率的だと思います。自分のメンターなどが、勉強するべき内容を厳選してくれるので、そうした学習面での効率化という意味では、フリーランスとして働くよりも、効率的だと思います。

今後のキャリアビジョン:エンジニアとして農業への想い

ー本日は貴重なお話をありがとうございました。最後にJunさんのエンジニアとしての今後のビジョンをお聞かせいただきたいです。今後エンジニアやデータアナリストとして、元々強い関心を持たれていた農業へ、還元したい気持ちはお持ちですか?

Jun

 農業へ還元したい気持ちはあります。ただ今の段階ではまだまだだと思っています。後農家に関して付け加えるのであれば、もしデータ分析などを農家とコラボして落とし込もうとしても、中々農家一軒ごとに、契約をするというのは難しいと感じています。

これは僕自身の山梨の果樹園でのインターンを通して感じたんですけど、日本の農家は規模が大きいものでも、年間で1000万円ほどの売り上げしかない現状で、そうした農家はコスト面的に、データアナリティクスなどを採用するメリットはあまりないんですね。そうであるならば、僕はどちらかというと国とタッグを組んで、システムを作り上げて、国からサービスを提供するほうが、農家にとってメリットがあるし、我々からも一軒ずつ契約するよりも、圧倒的にやりやすいと考えています。

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ー農家への想いを持ちながらも、エンジニアとして日々精進されている姿を心から尊敬しております!本日は長い時間ありがとうございました!

おわりに:編集後記

いかがでしたでしょうか?

今回はJunさんが現在所属される会社で、エンジニアとして働かれるまでの経緯を中心にお伺いした内容をシェアさせていただきました。

UBCでの授業と日本の農家でのインターンを通じて持たれたデータアナリティクスへの関心を、具体的にキャリアに落とし込んで望まれた就活スタイルは、多くの留学生やエンジニアに関心を持たれる方々に参考になる姿ではないでしょうか。

また、私自身Junさんのエンジニアとして常に成長していきたいという向上心と、日本の農業への熱い想いを、今回のインタビューを通じて強く感じました。

改めて、お忙しい中今回のインタビューに協力してくださったJunさんに、この場を借りて感謝申し上げたいと思います!

今後とも他の方々のインタビュー企画を随時更新していく予定ですので、お楽しみに!

それでは今回はこのあたりで。

                                                                                                     See you guys next time ! 

 

Interview with Joe-san :帰国子女こそ日本の大学を経由してUBCへ行くべし!

Interview with Joe-san :海外➡上智➡UBC!

 皆さんこんにちは。Kagawaです。最近少し投稿のペースが遅れてしまい、すみませんでした。投稿から遠ざかっている間は、色々していたのですが、主にこのブログのインタビューを様々な方に行っていました。

 今後とも随時UBC卒またはUBCに交換留学に行かれた社会人の方や、内定者の方へのインタビューをアップロードしていきます!

さて今回のインタビューのゲストは2017-2018年に上智大学からUBCに交換留学に来られた、Joeさんです。

Joeさんは幼少期から海外生活を経験し、中学1,2年の帰国期間を経て、大学入学以前まではまた海外におられた経歴をもつ、非常に国際経験豊富な方です。

そんなJoeさんは卒業後は日系の某メガバンクのグローバル総合職にて、来年4月から就労予定です。

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UBC愛満載の写真を提供してくださったJoeさん。今回のインタビューではUBCに交換留学に行かれるまでの経緯や、キャリア感・就活での苦労話など、様々なテーマに関して、お話いただけました!

いわゆる帰国子女の枠の中でも、日本人としてのアイデンティティを高めていかれたJoeさん。そんな国際経験豊富なJoeさんのような逸材でも、日本の就活ではどう自己PRをしていけば良いか相当悩まれていたそうです。

このインタビュー企画を通して、Joeさんのバックグランドや経歴に留まらず、キャリア感や就活の苦労話などへも切り込んでいこうと思います!

今回もPart I, II の二部構成。Part I ではJoeさんのバックグランドから、上智大またUBCへ交換留学した理由や、UBCへの印象をお聞きしたパートをシェアしていきます。

それではお楽しみください。

 

Joe's 自己紹介&Background 

本日はよろしくお願いします。簡単に自己紹介と経歴をお願いします

Joe

上智大学4年生のJoeと申します。小学校と年長の計7年間シンガポールのインターナショナルスクールで過ごして、中学1、2年は日本の公立の学校に通いました。その後中3と高校3年間の4年間は香港のインターナショナルスクールに在籍し、そのあと2ヶ月はベトナムで過ごしました。大学で上智国際教養学部に進学し、3年時にUBCに交換留学しました。1年間就活浪人をして某メガバンクグローバル職から内定を頂きました。

ありがとうございます。幼少期最初のシンガポールでの7年で自己形成されたところありました?

Joe 

そうですね。そもそも当時日本語で話すという概念がなかったですね。普通海外にいると日本語の補習校のようなものに行くんですけど、そういうの一切やっていなかったし、日本人も学校に1人もいなかったので。そうした環境で育ったので、僕は普通の日本人のような感覚はほとんどなかったと思いますね。

そんな中で、中学時代に日本に帰って苦労されましたか?

Joe

苦労しましたね。めっちゃいじめられましたね。こいつ違うや~勉強もできないしみたいな感じで。成績もひどかった。5段階中1か2でしたね。まあ半分以上自分の日本語理解不足のせいでしたけど。唯一の救いはずっと部活でサッカーやっていて、そこでのコネクションができたのはよかったですけどね。

そのタイミングでお父さんの海外赴任が決まって、また海外に行かれましたか?

Joe

そうです。当時の父親の仕事の関係で、また海外に行くことが決まりました。

空港, ãã©ã³ã¹ãã¼ã, 女æ§, 女ã®å­, 観å, æè¡, ãã©ã¤ã, 人, 交é, åºçº, å°ç, é£è¡æ©

上智大進学の理由

Joeさんは結果的に長期間英語で教育を受けられてきた中で、日本の大学に進学された理由はなんでしょうか?

Joe 

主に2つ理由があって、1つは学費の面と、もう1つは自分のもっと日本のカルチャーを知らなきゃいけないというある意味義務感にも似たような気持ちでした。日系企業に就職したいなあという気持ちが当時からあったので、キャリア的に備えていく上でも、あのタイミングで日本に帰国することは、自分にとって必要なことだと思いましたね。

 

ー上智の国際教養学部帰国子女しかいないような特殊な学部のようなイメージですが、いかがでしょうか?

Joe 

そうですね。勉強も海外大のような感じで、ディスカッションメインで課題の量も多いです。その環境のおかげで、課題の量とかUBC行っても大変だとは思いませんでした。

同じ上智でも、そこだけは違うカリキュラムなのですね。その学部に入学したい場合、北米の大学に入る準備をしておけば、国内大の入学もできるということですね。上智以外に他にも対策はしていたのですか?

Joe

上智しか見ていなかったですね。トロント大学にも合格していましたが、その選択肢はあくまでもバックアップとしてなので日本の大学の上智に行くことにしました。

日本にも国際系を強化する大学が多い中で、なぜ上智大にしたのですか?

Joe 

そもそも国際教養学部というのは、早稲田と上智にしかありません。学部の英語レベルは上智の国際経学部は、帰国生しか在籍していないという理由から、必然的に高いと思います。僕は大学で英語に関しては、高いレベルでやりたかったので上智の国際教養学部に行きました。

交換留学先をUBCにした理由

ー本当に特殊な理由で上智を選んだのですね!そこからなぜUBCを交換留学先に選んだのですか?

Joe 

1番の理由は、レベルの高い大学に留学したいという強い気持ちが高かったからです。後は香港にいた時に通っていたインターナショナルスクールがカナダ系の学校だったのでカナダに親しみがありました。あとは21歳までお酒が飲めない国には行きたくなかったというのもあります(笑)。そのせいで、アメリカを選ぶことはなかったですね。あと僕は経済経営戦略を専攻していたので、UBCはそうした意味でも上智の提携校の中でも一番レベルの高いビジネススクールでしたし、経営系の授業を勉強したいと自分が思っていたので、凄く良い選択肢だったと思います。

後留学しようと思った理由としてあるのは、海外大学にいる高校時代の友達と連絡を取っている中で、自分は日本で勉強が足りないなという気もしました。交換留学なら自分のバイトで100万くらい貯めていたので、親にあまり負担かけずに行けるかなと思って行きました。

留学のプログラムというのは学部を通してですか?

Joe 

上智の留学センターを通して留学をしました。UBCでの留学時の授業料は自分が通っている国際教養学部と同じレートで支払いました。

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 UBCの魅力

ーではUBCに行かれて具体的に良かったところはズバリ何がありましたか?ご自身の勉強面やソフト面で何か変化したところはありましたか?

Joe 

勉強にはかなりこだわっていました。UBCでもSauder の環境は学内でもかなりcompetitiveというところで有名ですけど、そこの環境で自分はぜってぇ負けねえという気持ちでいました。結果的に留学して最初の学期で、4つ中3つAで1つBで納得できる成果は出せましたね。留学期間中はとにかく、work hard play hardを意識していました。飲むときは飲むし、勉強するときは勉強する。ワークライフバランスは充実していて、とにかく留学中は楽しかったです。

ー留学中苦労された点はありましたか?

Joe 

苦労した点に関しては、自分は言語面においては特になかったし、どうしたら友達ができるとかもわかっていたので、一般的にいう苦労話はそこまでないです。逆に就活時にこの質問をよくされて、あまり良い答えが出せなくて苦労しました。

人として変わったのは、自分が負けず嫌いであるということを改めて実感したことです。僕は国際教養学部なのに経営学部に留学したので、経営学の知識は周りの学生と比べて劣っていました。ただそれを言い訳にするのではなくて、負けずに頑張ろうという意思が強かったです。

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ー授業で印象に残っているシーンありますか?

Joe 

International Managementという授業のグループワーク時に、グローバル企業のWalmartが新しい国に進出するならどの国に進出するべきかという課題がありました。周りはEconomic Policyとか、governmental policyとか、市場の成長率とかみんな調べているけど、僕は最初どんな切り口でディスカッションを進めれば良いか全く分からなくて、そもそもそうした調べ方の手の付け方が分からない状況でした。

Governmentの資料とか読んでも何を言っているのかわからないし。でも諦めずに試行錯誤していたら、文化の調査という観点なら俺でもできるのではないかと思いました。フィリピンやインドネシアとかマレーシアなどの東南アジアの国は自分にとってゆかりのある土地でしたので、そうした国の異なるカルチャーにフォーカスした自分のレポートは、グループワークに貢献できたし、現地生と違った視点を提供することで、自分自身のバリューを出せているような気がしました。

 ー物凄く社会人になっても通じるものがありますね。UBCの施設やイベントなので何か印象に残っているものはありますか?

Joe

UBCはとにかく"work hard play hard"できる環境が整っていることが素晴らしいです。特に勉強する環境がめちゃくちゃ充実していますよね。24時間やっている図書館とか日本の大学にはないですし。上智の国際教養はめちゃくちゃ大変と言われていますけど、今思えばUBCと比べるとへっちゃらでした。成績を維持するという面で言うとUBCの方が大変でしたね。強いてUBCの悪い点を言うと、UBCの教授は全般的に多忙で、多くの学生がオフィスアワーに質問に行くので、教授へのアクセスという点でいうと悪かったかなあと思います。

ただ一方でfacility面では最高でした。ジムも近いし、サッカーもできる環境があって、プールもある。キャンパスにクラブがあるのも良くて毎週行っていましたね。飲んで、友達作ってはしゃいで(笑)。そうした切り替えが出来て、メリハリがある学生生活を送れるのがUBCの魅力だと思います。例えば9時くらいまで勉強して、学生寮に荷物を投げて、よっし行くぜってきりかえて、クラブ行って、翌朝は二日酔いでジム行って汗流して、勉強してという感じ。(笑)

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UBCには学生が割安で通えるメインジムがキャンパスに2つあります。UBCの学生(交換留学生も含む)と8か月80カナダドルというお得さ!写真は2年前に新設されたARCという新しいジム

ーすごい笑。そんなことできない(笑)

Joe

ジムは最高(笑)。後は友達にいつでもアクセスできる環境があるというのも良かったですね。個人的には日本人の友人ができたことは良かったです。日本人の海外経験のない友達って今まで1人もいなかったので。

そうした意味でもUBCでの留学を通じて、彼らのような日本人の留学生と繋がりを持てたのは、自分にとって大きかったですね。具体的には、困っている彼らに現地の情報や宿題などを手伝いました。逆に自分が日本に帰ってから、就活時などで彼らに大変お世話になってという、帰国後も続くいい関係が築けましたね。上智のコミュニティに留まっていたら絶対会えないような人たちと出会えて、良いコネクションができたと思っています。

 おわりに

いかがでしたでしょうか?

Joeさんのような海外経験が豊富でありながら、あえて日本への本帰国という道を選び、己を磨き続けてこられる姿は、帰国子女の学生さんにも極めて参考になる姿勢なのではないでしょうか。

後はUBCでのwork hard play hard という海外大生の”できる姿”を追求されてきたJoeさんのストイックさは一個人として尊敬できる姿でした。

次回は、引き続きJoeさんのインタビューの後編のPart II! 

次回は今回の内容と打って変わって、Joeさんの日本の就活時苦労話や、いかにして第一志望のメガバン、グローバル職から内定を勝ち取ったのかにフォーカスを当てて、皆さんにシェアしていこうと思います!

それでは、今回はこのあたりで。

                                                                                                 See you guys next time !

Interview with Jun-san part I: 日本の大学を辞めコミカレ経由UBCへ!

Interview with Jun-san

皆さんこんにちは。Kagawaです。今回も引き続きInterview企画の掲載。

今回のゲストはUBCを2018年に卒業し、現在ソニーネットコミュニケーションズ株式会社(通称ソネット)でエンジニアとして活躍されるJunさんにお話を伺いました。

 

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Jun さん:日本の大学に進学後、更なる充実した教育環境を求めカナダ・バンクーバーへ留学。語学学校、Langara College を経てUBCのLSE (Faculty of Land and Food Systems)へ編入。2018年同校卒業。同年10月からソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社にてエンジニアとして就職、現在に至る。

Junさんは僕がUBCの語学学校(ELI)に通っていた際の先輩で、当時から英語が堪能で非常に優秀な先輩として、僕の印象に強く残っていた方です。

またJunさんもコミュニティカレッジのLangara College を経て、UBCに編入した経歴をお持ちの方で、そういった経歴からも、僕の留学時代のロールモデルの1人の先輩にあたる貴重な方でした。

さて今回はそんなJunさんに色々なお話を伺いました。今回は前編として、Junさんが留学に至った経緯、英語への持論、またUBCにトランスファーに至るまでの過程などをお聞きしたパートをまとめました。

それではお楽しみ下さい。

Part1 :日本の大学を辞め、より充実した教育環境を求め、カナダ・バンクーバーへ留学

Kagawa

本日は宜しくお願いいたします。まず簡単に今までのご経歴を教えていただけますでしょうか。

Jun 

高校はスラムダンクで有名な松陽高校に通い、その後農業系で有名な東京農業大学に進学しました。在学中に1カ月大学の語学プログラムでバンクーバーに行き、そこでもっと英語を話せるようになりたいなと思うようになりました。そうした経緯から大学2年生の9月に1年間の休学を決心し、休学後最初の3か月は友人がいた関係でビクトリアに行き、現地の語学学校に通いました。でもビクトリアはバンクーバーに比べて小規模でキツイなと感じたので(笑)、その後またバンクーバーに戻り、今度はUBCの付属の語学学校であるELIに通い始めました。

Kagawa

そのELIに転校してプログラムを修了されるまでが日本の大学の休学期間だったのでしょうか?

Jun 

そうですね。その期間にもう日本の大学はあまり面白くないと思ったので、やめようという考えに至りましたね。その理由としては、僕が当初所属していた大学では、1年時では新しい知識の吸収というよりは、既に高校時代に習ったようなことまでの知識を講義で復習というような形を取っていて、そういった受動的なスタイルでの教育に関しては飽きがきていました。

 

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また、そうした教育環境でありながらも、私立なので学費を100万円以上払わなければいけない実態に、もったいないなと思うようになりました。さらに、休学中にカナダにいる際に農業系の知識に加え、ビジネス領域にも関心を持つようになったので、学部時代で農業系プラス@でビジネス関係の領域を網羅できる環境を探していました。

そうした考えもあって、ELI在籍中にLFS(Land and Food System)という学部期間の最初 の2年にサイエンス系の科目を履修し、残りの2年でビジネスや会計知識も網羅するというUBCの特別なカリキュラムの存在を知り、そこに行きたいなあと思うようになりました。

ただそのプログラムに応募しようとしたときには、直近のアプリケーションの締め切り日が既に過ぎていまして、「このまま来年のアプリケーションの締め切り日を待つよりは、コミュニティカレッジに行ってUBCのLFSに編入した方がオトクだな」という考えに至りました。その後Langara College に進学しました。理由としては当時のホームステイの場所か近かったことと、UBCへの編入率がBC州のコミュニティカレッジの中では一番高かったので、Langaraにしましたね。

Langara に進学する際は、IELTS6.5かTOEFL80点以上が必要だったので、僕の場合はIELTSのスコアを提出して、進学しましたね。

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Kagawa 

なるほど。日本の大学をやめようという考えに至ったのは、休学中の最初の方には既に固まっていたのですか?

Jun 

そうですね。休学して半年経つか経たないうちには日本の大学を辞めようという意思を固めていましたね。流石に辞めるという意思を固めた時には、親とSkypeをして意思を伝えました。留学中はほとんど連絡を取らないので、それが初めてのSkypeコールでした(笑)。幸いにも親は自分の決断を後押ししてくれて、そうした背景もあって日本の大学を辞めて、College に進学という決断ができました。

Kagawa

日本の大学から編入というオプションはなかったのでしょうか?

Jun

制度上はできました。ただ自分の学問分野を英語で学習するとなると、内容がかなり変わってくるし、日本で履修した分野も英語で習いなおしたいという気持ちもあったので、編入ではなく、再度入学という形を取りました。ミトコンドリアとかの学術単語とか英語だと違いますしね。(いやミトコンドリアはまだ近い方か(笑))

Kagawa

ミトコンドリアって(英語で)なんって言うんですか?(笑)

Jun

いや普通にMitochondria(めちゃめちゃ良い発音で)って感じ(笑)まあそういう学術レベルの単語は語学学校ではやらないですから、そういう単語や概念を英語で学び直したいという意味も踏まえて、再度入学しましたね。

Kagawa

金銭面やサポート面で何か工面した点はありますか?

Jun 

幸いにも学費は親が負担してくれたので、学費の点では苦労してないですが、生活面に関してはかなり節約しました。自分で料理をさせてくれるホームステイを見つけて、月に食費や携帯代・Wifi費など込みで、計10万円以下でやりくりしていたと思います。そこのホームステイでは4年ほどいましたね。

ここまでのまとめ
  • Junさんは日本の大学に一度入学後、教育制度への違和感を感じ、カナダの教育環境や英語を話せるようになりたいというモチベーションから、大学を辞め留学を決意
  • 半年ほどUBCの語学学校ELIで英語を学習後、IELTSで基準点以上を取り、Langara College に進学
  • 倹約が可能なホームステイを自ら探し、生活費を抑えつつ、約4年間(UBC卒業まで)の正規留学をスタート

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Part2 Langara時代:自身の英語への取り組み

Kagawa 

ここからはLangara College 時代について、お伺いしたいと思います。UBC編入に至るまでに苦労した点などありましたでしょうか?

Jun

う~ん、ないかな(笑)。逆にKagawaはどうだった?

Kagawa

え、、、、、、(笑)。めちゃくちゃ苦労しましたよ!特に最初のセメスターは分からなくて大変でした。

Jun 

なるほど。僕は最初のセメスターは3つのコースから取り始めて、その後も多くても4つに留めるなどして、かなり慎重に学習を進めていたので、苦労したという感覚ではなかったですね。ただ、個人的にはテストに関してはUBC時代よりは、Langaraの方が難しかったと思います。

Kagawa

それだけ、Langaraのプログラムが充実していたのですね?

Jun 

そう思います。

Kagawa

逆にいうとJunさんの場合は既にELI時代に既に英語の基礎は固まっていて、Collegeにいきなり入っても苦労しなかったってことですかね?

Jun

う~ん。確かに学習面に関しては大丈夫だった気がします。ただ日常会話では少し苦労した気がします。

Kagawa

えーでもJunさんELI時代からペラペラだったじゃないですか?(笑)Junさんの英語が飛躍的に伸びたなと感じた具体的な時期とかいつ頃でしたか?

Jun 

それは難しいですね。語学の学習って急にガっと上がるものではなくて、徐々に上がってくるものだと思うので。

Kagawa

元々英語はお好きだったのですか?

Jun

 中学の頃はめちゃめちゃ苦手で、当時のテストで平均が88点のものを44点取ったのを覚えています(笑)。そのあと親に泣きつき教えてもらったことで、徐々に点数が伸びていき、勉強するようになりました。後はバスケが好きだったので、NBAを英語で観れるようになりたいという動機もあったので、英語の学習が徐々に楽しくなってきました。

Kagawa

英語の学習のスイッチが入ったのはズバリいつ頃でしょうか?

Jun 

う~ん。最初はやっぱり中学のテストが全然できなかったことでしょうか。それにショックを受けて学習を始めたというのもあるので。後は日本の大学に在学中に短期で語学プログラムに参加した際に、全然喋れなくて、聞き取れないという感覚に陥った経験が2つ目のスイッチとしてあったと思います。その2つ目のスイッチがきっかけとなって、1年休学して英語を勉強しようと思いましたね。

Kagawa

その休学の1年間の間で、今Junさんが持っていらっしゃる英語の基礎ができたという感じですね。

Jun

そうですね。後ELIにはCA(Cultural Assistant) がいて、そういったCA達と日々コミュニケーションを取れたというのも、英語上達の上では役に立ったと感じます。

Kagawa

それだけELIの環境を最大限活かされていたのですね。その環境もあって、英語力・会話力が上達したということですね。

Jun

間違いないですね。

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JunさんとKagawa が通った語学学校UBC ELI (English Language Institute)。充実したReading, Writing, Speaking&Listening でレベル別に構成されるカリキュラムに加え、経験豊富な講師陣、さらにCA(Cultural Assistant)というUBCの現地大学生が在学生の学習を手助けするプログラムや様々なイベント・アクテビティを開催している。


Part3: LangaraからUBCへ編入-UBC,LFSプログラムへ進学

Kagawa 

Langera に在籍していたのは1年と少しくらいの期間ですか?

Jun 

そうですね。そのくらいの期間だったと思います。

Kagawa 

UBCへの編集する際のGPAってどれくらいでしたか?

Jun 

 う~ん覚えてないな~でも3.4~3.5くらいで、「まあ落ちることはないな」と思うくらいのGPAだった気がします。

Kagawa 

後Junさんはオーストラリアのメルボルン大にもアプライされて、合格したと伺いましたが、なぜメルボルン大にもアプライしたのでしょうか?

Jun 

メルボルン大にもUBCのLFSに近いプログラムがあるのを知ったので、合わせて応募しましたね。

Kagawa 

アプライのプロセスはUBCと同じようなものだったのでしょうか?

Jun 

 UBCと違くて、全てのTranscriptの成績を認可されなかったと思います。あんまり確かではないですが、確か2年時に編入という形で、合格通知がきていたと思います。

Kagawa

なるほど。UBCへはBachelor of Science ではなく元々Junさんが興味を持たれていたLFSのプログラムに直接アプライされたのですか?

Jun 

そうです。そこしか元々興味がなかったので、直接アプライしましたね。

Kagawa 

応募の際に英語のスコア、Langara時代のGPA以外に必要な事項はありましたか?

Jun 

いえ特になかったと思います。

Kagawa 

なるほど。それで最終的には元から志願されていたUBCのLSFに進学された形を取ったんですね。

Jun 

そうですね。元々UBCがファーストプライオリティということもあって、最終的にはUBCにしましたね。

person holding bible with pen

まとめ

いかがでしたでしょうか?Junさんのようなユニークな経歴を持たれる方は、留学生でもそこまで多くなく、とても貴重なインタビューになったと思います。

日本の大学に入学しても、更なる良い教育環境を求めて留学というのは、キャリア的に考えても良いオプションになるかと思いますし、今回のJunさんのケースはその決断が良い方向に向いた事例かと思います。

次回はJunさんの就活時のエピソードや、現在エンジニアとして働かれるまでの経緯についてお伺いしたセクションを皆さんにシェアしたいと思います。

それでは今回はこの辺りで。

                                                                                                            See you next time !