Interview with Jun-san part I: 日本の大学を辞めコミカレ経由UBCへ!
Interview with Jun-san
皆さんこんにちは。Kagawaです。今回も引き続きInterview企画の掲載。
今回のゲストはUBCを2018年に卒業し、現在ソニーネットコミュニケーションズ株式会社(通称ソネット)でエンジニアとして活躍されるJunさんにお話を伺いました。
Junさんは僕がUBCの語学学校(ELI)に通っていた際の先輩で、当時から英語が堪能で非常に優秀な先輩として、僕の印象に強く残っていた方です。
またJunさんもコミュニティカレッジのLangara College を経て、UBCに編入した経歴をお持ちの方で、そういった経歴からも、僕の留学時代のロールモデルの1人の先輩にあたる貴重な方でした。
さて今回はそんなJunさんに色々なお話を伺いました。今回は前編として、Junさんが留学に至った経緯、英語への持論、またUBCにトランスファーに至るまでの過程などをお聞きしたパートをまとめました。
Part1 :日本の大学を辞め、より充実した教育環境を求め、カナダ・バンクーバーへ留学
Kagawa
本日は宜しくお願いいたします。まず簡単に今までのご経歴を教えていただけますでしょうか。
Jun
高校はスラムダンクで有名な松陽高校に通い、その後農業系で有名な東京農業大学に進学しました。在学中に1カ月大学の語学プログラムでバンクーバーに行き、そこでもっと英語を話せるようになりたいなと思うようになりました。そうした経緯から大学2年生の9月に1年間の休学を決心し、休学後最初の3か月は友人がいた関係でビクトリアに行き、現地の語学学校に通いました。でもビクトリアはバンクーバーに比べて小規模でキツイなと感じたので(笑)、その後またバンクーバーに戻り、今度はUBCの付属の語学学校であるELIに通い始めました。
Kagawa
そのELIに転校してプログラムを修了されるまでが日本の大学の休学期間だったのでしょうか?
Jun
そうですね。その期間にもう日本の大学はあまり面白くないと思ったので、やめようという考えに至りましたね。その理由としては、僕が当初所属していた大学では、1年時では新しい知識の吸収というよりは、既に高校時代に習ったようなことまでの知識を講義で復習というような形を取っていて、そういった受動的なスタイルでの教育に関しては飽きがきていました。
また、そうした教育環境でありながらも、私立なので学費を100万円以上払わなければいけない実態に、もったいないなと思うようになりました。さらに、休学中にカナダにいる際に農業系の知識に加え、ビジネス領域にも関心を持つようになったので、学部時代で農業系プラス@でビジネス関係の領域を網羅できる環境を探していました。
そうした考えもあって、ELI在籍中にLFS(Land and Food System)という学部期間の最初 の2年にサイエンス系の科目を履修し、残りの2年でビジネスや会計知識も網羅するというUBCの特別なカリキュラムの存在を知り、そこに行きたいなあと思うようになりました。
ただそのプログラムに応募しようとしたときには、直近のアプリケーションの締め切り日が既に過ぎていまして、「このまま来年のアプリケーションの締め切り日を待つよりは、コミュニティカレッジに行ってUBCのLFSに編入した方がオトクだな」という考えに至りました。その後Langara College に進学しました。理由としては当時のホームステイの場所か近かったことと、UBCへの編入率がBC州のコミュニティカレッジの中では一番高かったので、Langaraにしましたね。
Langara に進学する際は、IELTS6.5かTOEFL80点以上が必要だったので、僕の場合はIELTSのスコアを提出して、進学しましたね。
Kagawa
なるほど。日本の大学をやめようという考えに至ったのは、休学中の最初の方には既に固まっていたのですか?
Jun
そうですね。休学して半年経つか経たないうちには日本の大学を辞めようという意思を固めていましたね。流石に辞めるという意思を固めた時には、親とSkypeをして意思を伝えました。留学中はほとんど連絡を取らないので、それが初めてのSkypeコールでした(笑)。幸いにも親は自分の決断を後押ししてくれて、そうした背景もあって日本の大学を辞めて、College に進学という決断ができました。
Kagawa
日本の大学から編入というオプションはなかったのでしょうか?
Jun
制度上はできました。ただ自分の学問分野を英語で学習するとなると、内容がかなり変わってくるし、日本で履修した分野も英語で習いなおしたいという気持ちもあったので、編入ではなく、再度入学という形を取りました。ミトコンドリアとかの学術単語とか英語だと違いますしね。(いやミトコンドリアはまだ近い方か(笑))
Kagawa
ミトコンドリアって(英語で)なんって言うんですか?(笑)
Jun
いや普通にMitochondria(めちゃめちゃ良い発音で)って感じ(笑)まあそういう学術レベルの単語は語学学校ではやらないですから、そういう単語や概念を英語で学び直したいという意味も踏まえて、再度入学しましたね。
Kagawa
金銭面やサポート面で何か工面した点はありますか?
Jun
幸いにも学費は親が負担してくれたので、学費の点では苦労してないですが、生活面に関してはかなり節約しました。自分で料理をさせてくれるホームステイを見つけて、月に食費や携帯代・Wifi費など込みで、計10万円以下でやりくりしていたと思います。そこのホームステイでは4年ほどいましたね。
ここまでのまとめ
- Junさんは日本の大学に一度入学後、教育制度への違和感を感じ、カナダの教育環境や英語を話せるようになりたいというモチベーションから、大学を辞め留学を決意
- 半年ほどUBCの語学学校ELIで英語を学習後、IELTSで基準点以上を取り、Langara College に進学
- 倹約が可能なホームステイを自ら探し、生活費を抑えつつ、約4年間(UBC卒業まで)の正規留学をスタート
Part2 Langara時代:自身の英語への取り組み
Kagawa
ここからはLangara College 時代について、お伺いしたいと思います。UBC編入に至るまでに苦労した点などありましたでしょうか?
Jun
う~ん、ないかな(笑)。逆にKagawaはどうだった?
Kagawa
え、、、、、、(笑)。めちゃくちゃ苦労しましたよ!特に最初のセメスターは分からなくて大変でした。
Jun
なるほど。僕は最初のセメスターは3つのコースから取り始めて、その後も多くても4つに留めるなどして、かなり慎重に学習を進めていたので、苦労したという感覚ではなかったですね。ただ、個人的にはテストに関してはUBC時代よりは、Langaraの方が難しかったと思います。
Kagawa
それだけ、Langaraのプログラムが充実していたのですね?
Jun
そう思います。
Kagawa
逆にいうとJunさんの場合は既にELI時代に既に英語の基礎は固まっていて、Collegeにいきなり入っても苦労しなかったってことですかね?
Jun
う~ん。確かに学習面に関しては大丈夫だった気がします。ただ日常会話では少し苦労した気がします。
Kagawa
えーでもJunさんELI時代からペラペラだったじゃないですか?(笑)Junさんの英語が飛躍的に伸びたなと感じた具体的な時期とかいつ頃でしたか?
Jun
それは難しいですね。語学の学習って急にガっと上がるものではなくて、徐々に上がってくるものだと思うので。
Kagawa
元々英語はお好きだったのですか?
Jun
中学の頃はめちゃめちゃ苦手で、当時のテストで平均が88点のものを44点取ったのを覚えています(笑)。そのあと親に泣きつき教えてもらったことで、徐々に点数が伸びていき、勉強するようになりました。後はバスケが好きだったので、NBAを英語で観れるようになりたいという動機もあったので、英語の学習が徐々に楽しくなってきました。
Kagawa
英語の学習のスイッチが入ったのはズバリいつ頃でしょうか?
Jun
う~ん。最初はやっぱり中学のテストが全然できなかったことでしょうか。それにショックを受けて学習を始めたというのもあるので。後は日本の大学に在学中に短期で語学プログラムに参加した際に、全然喋れなくて、聞き取れないという感覚に陥った経験が2つ目のスイッチとしてあったと思います。その2つ目のスイッチがきっかけとなって、1年休学して英語を勉強しようと思いましたね。
Kagawa
その休学の1年間の間で、今Junさんが持っていらっしゃる英語の基礎ができたという感じですね。
Jun
そうですね。後ELIにはCA(Cultural Assistant) がいて、そういったCA達と日々コミュニケーションを取れたというのも、英語上達の上では役に立ったと感じます。
Kagawa
それだけELIの環境を最大限活かされていたのですね。その環境もあって、英語力・会話力が上達したということですね。
Jun
間違いないですね。
Part3: LangaraからUBCへ編入-UBC,LFSプログラムへ進学
Kagawa
Langera に在籍していたのは1年と少しくらいの期間ですか?
Jun
そうですね。そのくらいの期間だったと思います。
Kagawa
UBCへの編集する際のGPAってどれくらいでしたか?
Jun
う~ん覚えてないな~でも3.4~3.5くらいで、「まあ落ちることはないな」と思うくらいのGPAだった気がします。
Kagawa
後Junさんはオーストラリアのメルボルン大にもアプライされて、合格したと伺いましたが、なぜメルボルン大にもアプライしたのでしょうか?
Jun
メルボルン大にもUBCのLFSに近いプログラムがあるのを知ったので、合わせて応募しましたね。
Kagawa
アプライのプロセスはUBCと同じようなものだったのでしょうか?
Jun
UBCと違くて、全てのTranscriptの成績を認可されなかったと思います。あんまり確かではないですが、確か2年時に編入という形で、合格通知がきていたと思います。
Kagawa
なるほど。UBCへはBachelor of Science ではなく元々Junさんが興味を持たれていたLFSのプログラムに直接アプライされたのですか?
Jun
そうです。そこしか元々興味がなかったので、直接アプライしましたね。
Kagawa
応募の際に英語のスコア、Langara時代のGPA以外に必要な事項はありましたか?
Jun
いえ特になかったと思います。
Kagawa
なるほど。それで最終的には元から志願されていたUBCのLSFに進学された形を取ったんですね。
Jun
そうですね。元々UBCがファーストプライオリティということもあって、最終的にはUBCにしましたね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?Junさんのようなユニークな経歴を持たれる方は、留学生でもそこまで多くなく、とても貴重なインタビューになったと思います。
日本の大学に入学しても、更なる良い教育環境を求めて留学というのは、キャリア的に考えても良いオプションになるかと思いますし、今回のJunさんのケースはその決断が良い方向に向いた事例かと思います。
次回はJunさんの就活時のエピソードや、現在エンジニアとして働かれるまでの経緯についてお伺いしたセクションを皆さんにシェアしたいと思います。
それでは今回はこの辺りで。
See you next time !