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My College Life in Vancouver :異国でも自分らしくいられる条件

現在UBC学部3年の正規学生です。より多くの方々にカナダの大学進学に関心を持っていただけるように精一杯書かせていただきます!

留学生の履歴書:牧浦蔵さん

留学生の履歴書シリーズNo1:牧浦蔵 (Kurabe Makiura: Univesity of Edinburgh, Scotland ) 

皆さんこんにちは。前回までで僕の連載企画UBC編入記を結ばせて頂きました。まだブログを投稿するということに慣れていない自分にとって全てを皆さんにうまくお伝えできたかどうかは分かりませんが、少しでも有益な情報を提供できていれば幸いです。 

さて今回からは記念すべき単発記事の一発目となります。私はこの夏5月から8月まで日本でインターンをするために一時帰国をしていたのですが、その期間に行われた海外帰国生向けの就活フォーラムで世界各国で活躍する数多くの日本人留学生に出会う機会がありました。その中で出会った1人、牧浦蔵(まきうらくらべ)さんに今回特別にインタビューに協力して頂きました。

牧浦さんは現在イギリス、スコットランドの名門大学エジンバラ大学(世界大学ランクでUBCよりも上位の28位)経済学部に3年生として所属しており、中学2年生時から英国に留学生として滞在しています。

そんな優秀な彼とは就活フォーラムで初めて会い、そこで意気投合?しそれ以来親交を深めています。といっても今回のインタビューはまだ実質会うのが3回目での実現となりました(笑)。

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なるべく盛れている写真というリクエストから、この1枚をピックアップ。笑)

それではインタビュー記事をご覧ください。

1: イギリスに行くきっかけー父親の希望を背に渡英を決断

山本(以下:Y) : 改めまして、今回インタビューに協力して頂きましてありがとうごます本日は宜しくお願いします。まずはじめに牧浦さんのバックグラウンドを少し教えていただけますか?

牧浦(以下M): 宜しくお願いします。現在イギリス、スコットランドにあるエジンバラ大学で、9月から3年生になり経済学と会計学を専攻しています。僕の経歴を簡単に言うと中学2年生までは東京都内の私立の中学に通っていました。その後中学2年時からイギリスにあるボーディングスクールに5年間通い、スコットランドエジンバラ大学に進学しました。

Y: なるほど。では僕が思うに蔵の転換期は2つあったと思うんですよね、1つ目はどうして中学2年生の時点でイギリスに留学しようと思ったのか。もう1つはボーディングスクールの後なぜエジンバラ大学に進学したのかということです。ではまず1つ目の転換期、なぜボーディングスクールに行こうと思ったのですか?

M: 僕は元々父親が昔から欧州文化に憧れを持っていて、幼少期のうちに留学したかったらしいのですが、残念ながら実現できずその夢を息子に託したかったということが一つありますね。また父親自身も日本の教育制度が自分に合わないだろうということを前もって気づいていたらしくそれで留学を勧めてくれました。日本の教育制度が自分にとって合わなかっただろうなあということは今になって自分でも感じています。

Y: お父さんは海外経験が長かった方なんですか?

M:いえ、父親は大学まではずっと日本の学校に通っていました。留学経験というと高校時代にアメリカへの交換留学、社会人になった後にMBA取得のために留学した1年間があります。それらの経験とまあ本人の希望もあって息子を留学させようみたいな、要は島流してきな感じになって、「お前みたいな問題児は海外へ行け!」みたいになりました(笑)

Y: それは蔵自身はどうでした?嫌だった?それとも「よっしゃ行こうぜ!」みたいになりました?

M: いや、正直言って行きたくないなと思いました。当時の学校の英語の成績は下から数えた方が早かったし、全くの未開の土地にその現地の言葉もしゃべれないでいくなんてできないと不安に思いました。また小5にころにイギリスに3週間サマースクールに行ったのですが、その時に食文化の違いからこの国は嫌だなとも思いました。 それなのにまさかの留学の話が上がって、最初はすごく抵抗感もあり反抗もしたりしましたけど、中2の自分にはそんなに決定権がなく、最終的には半強制的に渡英した形になりました。

Y: それはとりあえずイギリス行こうか!みたいな感じ?それとも長期間ずっと行こうみたいな感じでした?

M: いや行くならずっと行くからなと言われて行きました。それは父親の1年間の留学経験から、1年の短さを父親自身が痛感していたからだと思います。普通1年って長いと感じるかもしれませんが、長い人生で言えばほんのわずかな期間。そういう理由もあって留学行くなら「骨を埋める覚悟で行くからな」と言われて渡英しました。

Y: それが中2で起きたんですか、、、

M: そう。だからまさにライオンの子どもを崖から突き落とすみたいな教育方針でした。ただ今となっては物凄く感謝しています。まあでもあの頃の自分にとってはきつかったのとも思いますね。

Y: なるほど。渡英したのは中2のいつ頃ですか?

M: 中1が終わった時点の4月に渡英しました。まず最初の3ヶ月間は語学学校に行きました。そこは半分くらいは僕みたいにボーディングスクール進学を見据えた子たちがいたんですが、多くの日本人もいる環境でした。そのせいもあって日本人同士ではほとんど英語を喋らない環境で、僕自身はそれがすごく嫌でした。

Y: そこの語学学校が英語をしっかり学ぶ初めての機会になったんですか?

M: 学ぶ機会というよりは、英語に慣れる機会という意味合いが強かったと思います。ただ先ほども言ったように多くが日本人の学生でしたから、そいいう甘えやすい環境では思ったほど英語に触れることができなかったと思います。当然日常会話などで英語を使う機会はありましたが、まだその当時は日本語で考えてそれを翻訳するというプロセスを経ないと英語を話せませんでした。ただネイティヴってそんなプロセスを経ずに普通に話すじゃないですか。なので語学学校時代は英語で考えて英語で話すという俗に言うバイリンガル的な思考能力は訓練できなかったと思います。ただ語学学校時代でもリスニングはすごく伸びたと思います。

Y: 語学学校では日本人以外ではどんな国の生徒さんがいましたか?

M: 日本人以外では中国人とロシア人が多かったと思います。1クラスは15人と少人数でその中で6人ほどが日本人という環境でした。

2. 充実のボーディングスクール時代:スポーツの力で良い友人関係を築く

Y: なるほど。その語学学校の期間がいわゆるプレボーディングスクール的な期間だったと思うんですが、ボーディングスクールは語学学校終わってすぐ進学したんですか?

M: その年の9月に進学しました。なので学年を落とさずにそのまま進学できました。

Y: 進学先のボーディングスクールはどうやって決めたんですか?

M: もともと何校か候補があったんですが、僕が進学することになったボーディングスクール(イングランド、バッキンガムにあるストースクール)は国定公園に指定されている土地に敷地内にあり、校舎もパルテノン神殿的な雰囲気があってとても綺麗でした。その時親も東京からわざわざ校舎見学に来てくれて、環境にベタ惚れしたのでその学校に決めました。また、日本人が一人もいない環境ということも決定打になりましたね。

Y: やっぱりそういう環境が良かったんだ。

M: あと、ロンドンからアクセスが良いことも理由にあったと思います。

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(牧浦さんが通っていたボーディングスクール、ストースクール)

Y: その学校へのアプライのプロセスはどうだったんですか?

M: まずは学生ビザ申請関係、それにその学校が実施する筆記試験、さらにはインタビューがありました。ただインタビューは形式的なものだったんで。それに自分自身は英国専門の留学エージェントを通して行ったので、すべてのプロセスはエージェントの指示通り行いました。

Y: なるほど、じゃあアプライに関して全部自力でやる必要はなかった?

M:そうですね。すべてエージェントに任せていました。

Y: やっぱり、ボーディングスクールとなるとエージェントを通した方が良いですかね?

M: やはり日本と英国は距離も離れていますし、そう言った意味では個人レベルでネットワークを張るのは難しいと思います。ですから入学、留学申請などの難しいプロセスはプロである留学エージェントに任せた方が良いと思います。

Y: なるほど。ではボーディングスクールでの5年間での経験についてのお話を伺いたいと思います。まずイギリスの基本的な教育制度について少し押してもらえますか?

M: 私立に行く場合は初等教育が7年間、中等、高等教育が5年間になります。ですから合計すると日本と同じ12年間になります。中等、高等教育が別になる場合は中等教育が3年間、高等教育が2年間の計5年間になります。

Y: 蔵はそのボーディングスクールに中等、高等教育の5年間ずっといたんですか?

M:はい。ずっといれました。

Y: そのボーディングスクール5年間を総括するとどうでしたか?

M: 物凄く良かったです。もちろん最初の数年間は語学面なので苦労して、最後の2年間は大学進学のための勉強で大変でしたけど、スポーツの力で学校生活を楽しむことできました。自分はラグビー水球、それに水泳もやっていたので、そのおかげで友達も沢山できたし、思い出の半分はスポーツのおかげと言っても過言ではないですね。ラグビーは小5からやっていたのもあって、学校のラグビーチームの1軍に入ることができました。伝統的なボーディングスクールはサッカーよりもラグビーの方が人気があるので、ラグビーができたことは自分自身にとっても大きかったですね。

Y: 蔵が行っていたボーディングスクールは男子校だったんですか?

M: いえ。共学です。寮は男女別々ですけど。ご飯もみんなで一斉に食べたり、本当に昼夜の行動をほとんど共にする感じでした。まさにハリーポッターみたいな感じです。

Y: 生徒みんな寮に住んでいるんですか?

M: 金銭面や家庭の事情のある子たちを除く95パーセント近くの生徒が寮にいたと思います。

Y: 授業の中でやっていて何か大変だった科目はありますか?

M: やはりGCSE*1というシステムの中で現地の学生と混じってシェイクスピアなどの文献を読んでレポートを書くような英語の科目があったのですが、それはきつかったですね。

Y: それは留学生用の英語プログラムとかではなくて?

M: ボーディングスクールに入ると留学生用とかのプログラムや科目は一切存在せず、全ての科目が現地生、留学生関係なく統一のもです。英語もGCSEの中の必修科目でした。

Y: それはボーディングスクール時代の何年目に受けたんですか?

M: 英語は3年目、日本でいう高1の年の時に受けました。

Y: そのあと4、5年目はどんな科目を取っていたんですか?

M: 4、5年目になるとAレベル*2といって、自分の学習したい科目を3から4教科選べたので比較的楽しかったですね。

Y: イギリスでは4年目になるとある程度科目絞らなければいけないんですね。科目を絞ることは3年目にやらなければいけないんですか?

M: まあそうですね。俗に言う理系か文系かは3年の2学期終わりの時点ではっきりしますね。

Y: なるほど。逆に絞るまでのプロセスが大変そうですね。

M: まあ大変というか、色々な科目を取らなきゃいけなかったんで、そういう意味では大変だったと思います。

Y:当然、選ぶためにはそれ以前の成績も考慮される?

M:もちろん、そうですね。2年目3年目の成績が良くないと自分が取りたい科目を4、5年目に取れないという事態にもなります。

Y: 成績はどういう感じで決まりますか?

M: 基本はペーパーの試験、科目によってはエッセイがあったり、現地の大学と基本的には同じ仕組みで成績が決まります。

Y:ボーディングスクール時代には時間割とかあったんですか?

M: 3年目までは学力別にクラスは分かれていましたけど、クラス内では同じ時間割の中で行動していました。4年目以降になると一人一人の選択科目がそれぞれ別々なので、時間割は一人一人違ったものでした。

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(マジでハリーポッターみたいな会食会の様子)

Finally, what's next ?

今回はここでいったん前編番として終わらせて頂きます。こうして私自身前編番のインタビューを書きながら振り返ってみると、蔵のメンタルの強さだとか、思い切りの良さみたいなものを強く感じました。いくら親の勧めやサポートがあったとはいえ、中1が終わった時点で留学に行くという決断をできたことは素直にすごいなあと思います。自分にはそんな勇気は持てなかったと思います。次回は後編番としてなぜ蔵がエジンバラ大学を進学先として選んだのかを中心にしたインタビュー記事を投稿したいと思います。

                                 see you guys soon !